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福岡高等裁判所 平成4年(ネ)389号 判決 1996年9月12日

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人甲野一郎に対し、四五〇〇万円、控訴人甲野太郎に対し、二五〇万円、控訴人甲野花子に対し、二五〇万円及びこれら各金員に対する平成元年七月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

理由

【事実及び理由】

一  控訴人らは、主文と同旨の判決を求め、被控訴人は、「本件各控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

二  本件事案の概要は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決「事実及び理由」の「第二 事案の概要」欄に記載のとおりであり、証拠の関係は、原審及び当審の各訴訟記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これらを引用する。

1  原判決二枚目表八行目の「受診し、」の次に「担当した鏡輝雄医師によって子宮膣部びらん、」を加える。

2  同二枚目裏一行目の「頭部奇形」の次に「(脳室拡大、左脳萎縮)」を加える。

3  同二枚目裏八行目の「薬品は」の次に「子宮内膜症の適応剤で田辺製薬株式会社製の商品名」を加える。

4  同三枚目裏三行目の次行に次のとおり加える。

「控訴人らは、次のようにも主張する。仮に被控訴人に右の過失が認められないとしても、いわゆる期待権の侵害の法理により、被控訴人は、後記5の控訴人らの各損害を賠償すべき義務がある。

すなわち、被控訴人病院の担当医師鏡輝雄は、控訴人花子が下腹部痛及び生理の遅れから妊娠を疑って来院したのであるから、医師として尿検査をするなどして妊娠の有無を確定したうえ、妊娠しているならば健康な子供が生まれてくるように最善の手段方法を選択すべきであった。しかるに鏡医師は、妊娠の有無の判定に不可欠な尿検査をせず、控訴人花子の症状を子宮内膜症と誤診したほか、被控訴人病院は、結果的には、癌の疑いのない控訴人花子に子宮内膜症に対する薬剤として抗癌剤のユーエフティを投与してしまった。これにより、控訴人らは、ユーエフティの影響をまったく受けずに出生あるいは妊娠する機会を奪われた。

このようにして、控訴人らは、被控訴人が鏡医師若しくは被控訴人病院薬局係員の使用者として、民法七一五条に基づき、鏡医師若しくは右係員の前記不法行為によって生じた控訴人らの損害を賠償すべき責任があるというのである。

以上の控訴人らの主張に対して、被控訴人は次のように反論する。まず、鏡医師の診断に誤りはなく、そうであるから子宮内膜症の適応剤であるボンゾールを処方し、被控訴人病院もその処分に従ってボンゾールを控訴人に手渡した。誤ってユーエフティを手渡すことなど、被控訴人病院の薬品交付の仕組みからしてあり得ない。また、期待権の侵害というのも、被控訴人側には右のとおり何の落ち度もないから、この法理によって被控訴人に責任を生じることはない。」

5  同三枚目裏四行目の「5 損害額」の次行に次のとおり加える。

「控訴人らは、損害について次のとおり主張する。すなわち、前記1の障害により、控訴人一郎は、人の介護なくして日常生活を送れず、成長しても労働能力は全くない。

(一) 控訴人一郎の逸失利益 二六九五万三四三〇円

男子一八歳の初任給 一三万六八〇〇円

就労可能年数 六七歳

新ホフマン係数採用 二九・〇二二(六七年)

一二・六〇三(一八年)

一三万六八〇〇円×一二×(二九・〇二二--一二・六〇三)

(二) 慰謝料

控訴人一郎 二〇〇〇万円

控訴人太郎 二五〇万円

控訴人花子 二五〇万円

(三) 介護料 四七六六万八六三五円

一日当たり四五〇〇円

新ホフマン係数採用 二九・〇二二(六七年)

四五〇〇円×三六五×二九・〇二二

(四) 弁護士費用

控訴人一郎 四五〇万円

控訴人太郎 二五万円

控訴人花子 二五万円

(五) 請求額

控訴人一郎 四五〇〇万円(右(一)ないし(四)の合計額の内金)

控訴人太郎 二五〇万円(右(二)及び(四)の合計額の内金)

控訴人花子 二五〇万円(右(二)及び(四)の合計額の内金)

及びこれら金員に対する訴状送達の日の翌日である平成元年七月二〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金

被控訴人は、もとより右の損害賠償義務を否認する。」

三  当裁判所の争点1及び2に対する判断は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決「事実及び理由」の「第三 争点に対する判断」欄の「一 争点1について」及び「二 争点2について」に記載(原判決三枚目裏六行目から同四枚目裏八行目まで)のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決三枚目裏八行目の「できる。」の次に「そして、右各証拠に甲第四二号証、第四九号証並びに弁論の全趣旨を総合すると、控訴人一郎は、右障害による中枢神経系、ことに精神・知能・運動発達面に著しい障害があって、このため言語機能を獲得できず(音声言語による意志の疎通が全くできない。)、食事も介助がなければできず、排便・排尿は特別の器具によって自力で排せつできるが後始末は自力でできず、またベッド上の起居・周辺歩行のみかろうじて可能ということで、要するに障害が高度で常に監視介助または個室隔離が必要とされる状況にあり、仮に今後改善があるとしてもごくわずかであること、控訴人太郎及び控訴人花子もさまざまに控訴人一郎を日常的に介助しなければならないこと、以上の事実を認めることができる。」を加える。

2  同四枚目表二行目の「発売された」の次に「劇薬、指定医薬品、医師等の処方せん・指示により使用すべき」を加える。

3  同四枚目表三行目から四行目の「知見薬」を「治験薬」と改め、同四行目の「原告花子は」の次に「同月一七日」を加え、同五行目の「受取って服用し」を「受取ってその一部を服用し」と改め、同八行目の「同年」を「昭和五九年」と改める。

4  同四枚目裏三行目の「しかし、」を「そして、これらの記載が真実に反する、つまりボンゾールを処方したことがないのに後日右のような処方せんを作成したというようなことを窺わせる証拠はないから、この記載のみによれば、控訴人花子に渡されたのはボンゾールということになりそうである。しかし、右認定のユーエフティの薬品としての性格、入手の困難性、及び原審における控訴人花子本人尋問の結果中の、ユーエフティを入手、所持していた経緯についての供述には、大筋においてこれを排斥すべき不自然さはないことを斟酌すると、」と改め、同三行目から同四行目の「渡されたのが」の次に「、ユーエフティではなく、」を加える。

5  同四枚目裏八行目の次行に次のとおり加える。

「そうすると、何らかの事情によって、誤って、担当医師の処方と異る、ユーエフティが控訴人花子に渡されたというほかはない。

なお、前記の引用にかかる原判決の第二・二・3のとおり、控訴人花子は、担当医師である鏡医師によって、子宮膣部びらん、子宮内膜疑との診断を受けたが、前記(前同)第三・二の認定事実のとおり、このとき妊娠の診断は受けなかったものの、それゆえに右の子宮膣部びらん、子宮内膜疑の診断が間違っていることになるという事情を認めることのできる証拠はない。」

四  争点3について

1  前記の引用にかかる原判決の第二・二・1の事実及び同第三・二の事実並びに甲第三号証の一(原審裁判所平成元年(モ)第一二四号証拠保全事件における検証調書写し)の八四枚目にある、入院日を六〇年三月二日、退院日を六〇年四月一日とする入院診療要約書の経過並びに退院時所見欄の記載、同号証の二(甲第三号証の一の抜粋の翻訳書)の前記記載に対応する翻訳部分及び《証拠略》によれば、控訴人花子は昭和六〇年三月二五日控訴人一郎を出産したが、その最終月経の開始日は前年の昭和五九年六月九日であるから、同年七月一七日に被控訴人病院で鏡医師の診察を受けてユーエフティを渡されたとき、妊娠五週と三日に入っていたことが認められる。

2  《証拠略》によれば、妊娠四週から七週末までの時期は、胎児の中枢神経、心臓、消化器、四肢などの重要臓器、器官が発生・分化するいわゆる器官形成期にあって、催奇形という意味では胎児がもっとも敏感な絶対過敏期であること、そしてこの時期、胎盤は未完成であり、胎児の血液脳関門や肝臓、腎臓も存在しないから、胎児に対する薬物等による副作用はその程度が強ければ胎児に致命的に影響し、その程度が弱く、器官発生・分化の臨界期に当たると、各種、各部位の奇形となって現われること、妊婦はその代謝の亢進が腎、肝に対する負担の増加となり、薬物の処理、排泄能力が低下すること、したがって、この時期の妊婦に対する薬物の投与は、十分に慎重でなければならず、具体的には、薬物の選択、安全性の高低、投与量、投与期間に十分留意すべきであること、なかでも抗腫瘍剤は、後記のとおりの作用に照らしてすべて催奇性が認められるから、妊婦の治療上の必要が胎児の保護を超えるような場合以外は、その投与は差し控えるべきこと(因みに、《証拠略》によれば、ユーエフティの能書の「使用上の注意」においては、これを「投与しないことが望ましい。」と表現している。)、なお、控訴人花子が被控訴人からユーエフティを渡されこれを服用した(その量はともかく)時期の胎児(控訴人一郎)の体重は通常四グラム程度であること、以上の各事実を認めることができる。

3  ユーエフティの薬効、その作用機序について検討する。

《証拠略》によれば、ユーエフティは、昭和五八年五月二七日承認、昭和五九年三月一七日発売にかかる抗悪性腫瘍剤(抗癌剤)で、一カプセルにテガフール一〇〇ミリグラム及びウラシル二二四ミリグラム(モル比は一対四)を含み、テガフールが生体内で徐々にフルオロウラシル(5FU)に変換されて抗腫瘍効果を発揮すること、右のように、テガフールから変換される5FUそのものが、抗腫瘍効果を発揮するのであるが、単独では薬理作用、毒性をほとんど示さないウラシルを前記のとおりテガフールに配合し併用すると、腫瘍内での変換された5FU及びこの活性代謝物の分解を抑制しこれらを高濃度かつ長時間に維持でき、5FU単独では得られない抗腫瘍効果を得ることができること、ところで、生体の正常組織においては5FUに対する分解能力がかなり高いため、右の程度のウラシルが併用、共存しても5FUの分解にはあまり抑制がかからないが、腫瘍組織においては5FUに対する分解能力が低いため、ウラシルが共存すると5FUの分解に抑制がかかり、したがって、テガフール投与後、正常組織内の5FUの濃度は一過性に上昇するがすぐに低下するのに対し、腫瘍組織内の5FUの濃度はすぐには低下しないこと、そして、一般に抗癌剤は、腫瘍ないし癌細胞に影響して効果を発揮するものであるが、同時に細胞分裂の盛んな組織、造血組織、消化管粘膜、生殖線、皮膚などにも影響し、これらに障害を引き起すことがあるため、副作用の発現を避けることは困難であること、したがって、すべての抗癌剤は催奇形性があり、服用者が妊娠している場合、これが胎盤を通過して、流産、胎児死亡、胎児の奇形を起し得るという考え方を否定できないこと、そして、ユーエフティは、動物実験(ラット)で催奇形作用が報告されているので、妊婦または妊娠している可能性のある婦人には投与しないことが望ましい(その理由については、前記2に触れた。)とされていること、以上の事実を認めることができる。

4  ユーエフティの催奇性について検討する。

(一) 《証拠略》によれば、抗癌剤である5FUのほか、それの誘導体としての薬品としては、商品名をテガフール、ユーエフティ、カルモフールとするものが承認、販売されているが、これは生体内ではすべて5FUに変化して、薬効、副作用、催奇性を発するもので、その薬効、副作用、催奇性において基本的に同様であり、これらの作用の発現する容量に差があるもので、その薬容量はその有効量と安全性から決定されていることが認められる。

そして、これらの薬品はすべて抗癌剤であるから、前記3のとおり、癌細胞の増殖を阻害するのにとどまらず、正常な細胞に対しても一定の影響を与えることは避け難いというべきである。そこで、以下に各薬品の催奇性、副作用例について見てみる。

(二) ユーエフティについての実験例

(1) 《証拠略》によるとき、次の結果が得られる。

マウスの妊娠六日ないし一二日の一週間、ユーエフティの四パーセント水溶液で体重一キログラム当たり九〇ミリグラムを一日一回静注すると、胎仔に発育抑制傾向と第一四肋骨出現に有意差が見られる。

ラットの妊娠七日ないし一三日の一週間、ユーエフティの四パーセント水溶液で体重一キログラム当たり九〇ミリグラムを一日一回静注すると、胎仔に発育抑制傾向と肋骨痕の出現に有意差が見られる。

(2) 《証拠略》によると、次の結果が得られる。

ウサギの妊娠六日ないし一八日の一三日間、ユーエフティを体重一キログラム当たり四ランクの量に分けて一日一回経口投与したが、催奇形成作用はなかった。

(3) 《証拠略》によるとき、次の結果が得られる。

ラットの妊娠〇日ないし七日の八日間、ユーエフティを体重一キログラム当たり六四・八〇ミリグラムを一日一回経口投与したものに妊娠末期の体重増加抑制、着床数、着床率の低下、すなわち妊娠率の低下が認められ、このことからこの投与量による着床前の胚致死または着床阻害が示唆された。また、胎仔に心室中隔欠損、水頭が観察されたが、有意な出現率ではない。

(4) 《証拠略》によるとき、次の結果が得られる。

ラットの妊娠七日ないし一七日の一一日間、ユーエフティを体重一キログラム当たり八一ミリグラムを一日一回経口投与したものに胎仔の成長抑制、吸収胚数増加(胚致死作用)、腰肋の出現率上昇が認められる。

(5) 《証拠略》によると、次の結果が得られる。

ラットの妊娠一七日から分娩後二一日(妊娠期間二〇日)までの間、ユーエフティを体重一キログラム当たり九七・二〇ミリグラムを一日一回経口投与したものに、出生仔の体重増加抑制が認められる。

(6) 《証拠略》によるとき、次の結果が得られる。

イヌについて、九か月間体重一キログラム当たり一六・二ミリグラムを一日一回経口投与したものと、同様に二四・三ミリグラムを投与したもので、前者に興奮、呼吸促進、好中球減少が、後者に嘔吐、粘液便、摂餌量の減少その他が認められ、同様に九・七ミリグラムを投与した生存例及び投与後二六日目以降死亡例に大脳の空胞化が見られた。

(三) その他の薬剤の実験例について

(1) 《証拠略》によると、次の結果が得られる。

ネコ七匹に一・五か月間、5FUを、体重一キログラム当たり二ミリグラムの分量で一日一回経口投与すると、全例に脳に大型空胞が出現した。

また、ネコ一六匹に、カルモフールを、体重一キログラム当たり一〇ミリグラムの分量で一日一回連日経口投与すると、八日ないし二か月で一四匹が死亡し、投与期間一五日以下の三匹を除く一三匹に脳に大型空胞が出現し、その好発部位は5FUの場合に類似する。

(2) 《証拠略》によれば、次の結果が得られる。

ラットの妊娠七日から一七日(器官形成期)の一一日間、カルモフールを、体重一キログラム当たり五〇ミリグラムの分量で、一日一回経口投与した二〇例のうち出生仔二例に水頭症が見られたほか、催奇形作用を示唆するものとして、全身浮腫、骨格異常として第一頚椎の後頭骨化のある胎仔が数例認められた。

(3) 《証拠略》によれば、次の結果が得られる。

マウス及びラットのいずれも妊娠七日から一三日までの七日間、5FUを、いずれも体重一キログラム当たり二五ミリグラムの分量で一日一回経口投与したところ、マウスに外形異常が増加し、ラットに外形異常、骨格異常が認められたが、対照群との間に有意差はなかった。そして、胎仔には、催奇形、致死及び発育抑制をもたらすことが認められた。

(4) 《証拠略》によると、次の結果が認められる。

妊娠中のマウスあるいはラットに5FUを投与する実験によって、胎仔に生じたさまざまな奇形例が報告されている。

(四) ヒトへの影響例について

(1) 《証拠略》によると、次の事実が認められる。

オリーブ橋小脳萎縮症患者にユーエフティを毎日二カプセル一〇か月間にわたって投与したところ、これによりパーキンソニズムが顕在化した。

(2) 《証拠略》によると、次の事実が認められる。

ユーエフティを一日当たり三〇〇ミリグラム二週間にわたって経口投与された患者に認められた小脳失調症、夜間せん妄は、ユーエフティの配合剤であるテガフールの副作用としての白質脳症によるものと考えられる。

(3) 《証拠略》によると、次の事実が認められる。

ユーエフティを一日当たり三〇〇ミリグラム二週間にわたって経口投与された患者にパーキンソン病様歩行が現われた。

(4) 《証拠略》によると、次の事実が認められる。

ユーエフティを一日当たり六〇〇ミリグラム一年一〇か月にわたって服用した患者に、大脳白質病変及び第三脳室の拡大が見られた。

(5) 《証拠略》によると、次の事実が認められる。

ユーエフティを一日当たり三〇〇ミリグラム四か月にわたって服用した患者に、これによる白質脳症が認められた。

(6) 《証拠略》によると、次の事実が認められる。

カルモフールを約三か月にわたって二万六二〇〇ミリグラム経口投与された患者に、両側脳室周囲白質の電荷密度の低下が見られた例が報告されており、同様のカルモフール投与による副作用例が二四例報告されている。

(五) 右(一)の説示に(二)及び(三)の実験例並びに(四)のヒトに対する影響例を総合すると、ユーエフティに催奇性のあることは間違いないことと認められる。

5  そこで、控訴人花子のユーエフティ服用が控訴人一郎の前記のような障害発生に影響したのかどうかについて検討する。

(一) 《証拠略》によれば、薬品と奇形児出生との因果関係を推定できるための要件として、<1>その奇形が生じた器官の形成期に一致して薬品を服用したことが最も重要であること、<2>動物実験で同種類の催奇形成が報告されていること、ただし、動物種によっては催奇形成が出たり出なかったりするし、催奇形成の種類が異なる可能性があるので、この条件は絶対に必要なものではなく、むしろ動物実験で同じような催奇形成が証明されている場合は、薬品との因果関係が存在する可能性が一層強く疑われると考えるのが妥当であること、<3>当該奇形が特殊な奇形の場合は、薬品と因果関係のある可能性が高まること、<4>奇形発生の素因となる母体の疾患(例えば内分泌障害等)が関与している可能性が少ないこと、<5>かつて同様な例が学会に報告されておれば、薬品との因果関係の可能性が一層高まること、以上の点が挙げられ、この基準が学会において通用性をもっているものと認められる。

(二) ところで、引用にかかる原判決の前記第三・二の事実及び前記1、2の認定事実によれば、控訴人花子は、被控訴人病院での第一回の受診日である昭和五九年七月一七日から第二回の受診日である同月二四日までにユーエフティを多くても一一カプセル服用したところ、この期間は妊娠五週から六週であって、胎児すなわち控訴人一郎にとっては、その中枢神経、心臓、消化器、四肢などの重要臓器、器官が発生・分化する器官形成期にあって絶対過敏期であったことになり、しかも、前記4・(五)のとおり、ユーエフティは催奇性があるというのである。そして、引用にかかる原判決の前記第三・一のとおりの控訴人一郎の障害、頭部奇形は、右の中枢神経の奇形ないしこれに由来するものと考えられる。

そうすると、控訴人一郎の奇形と控訴人花子のユーエフティ服用との間の因果関係については、これを推定するための最も重要である要件すなわち前記(一)の<1>の要件を、充たしているとひとまずいうことができる。

ところで、前記3に認定のとおり、ユーエフティの抗腫瘍効果はテガフールから変換される5FUに由来するものであり、ウラシルには格別の毒性、副作用はなく、ユーエフティ一カプセルにはテガフールが一〇〇ミリグラム配合されている。そうすると、控訴人花子は、七日ないし八日間に合計一一〇〇ミリグラム以下の量のテガフールを服用、摂取したことになるので、このような摂取量で胎児に影響することがあるのかを検討しておく必要がある。

《証拠略》によれば、母体に十分な濃度で存在する薬品はすべて胎盤を通過して胎児に移行すると考えられていることが認められるところ、前記2の認定事実によるとき、控訴人花子がユーエフティを服用したとき、胎児の控訴人一郎には未だ血液脳関門や肝臓、腎臓が存在しなかったのであるから、母体で分解されなかったテガフールや5FUの影響をそのまま直接に受けることにならざるを得ない。ところで、前記3に認定のとおり、5FUは正常組織内では一過性に濃度が上昇するがすぐに低下するというのであるから、控訴人花子の服用したテガフールあるいはこれから変換された5FUがどの程度分解されないまま胎児に循環していったか、すなわち、胎児に右のような影響を及ぼすのに「十分」な量が循環したであろうか。これを科学的、医学的に知ることは、胎児に対するこのような実験が5FUの薬効及び催奇性のゆえに許されないと解されるからには、容易なことではない。しかし、前記2に認定のとおり、当時、胎児の体重は四グラムであったから、一一〇〇ミリグラムのテガフールがそのまま分解されずにすべて循環したとしたならば、胎児は体重一キログラム当たり実に二七万五〇〇〇ミリグラム(一カプセル当たり二万五〇〇〇ミリグラム)を七日ないし八日間に摂取したのと同様になる。そして、《証拠略》によれば、テガフールや5FUの一部が分解されないまま循環することは避け難く、しかもヒトは実験動物と異ってさまざまな変動因子を抱えていて、通常考え得る薬品の効果や毒性からかなり隔った数値が生じてもこれを異常な例として除却することは正しくないというのである。そうすると、テガフールや5FUが一部分解されずに循環して胎児に影響することがあることが肯定でき、また、胎児の個性によって安全量は一様でなく、その絶対的に安全な閾値を設定することは難しいというべきである。そして、そうであるからこそ、前記2に認定のとおり、ユーエフティの妊婦への投与は、その量を問わず、原則として差し控えるべきであるとされていると考えるべきである。

このようにして、前記<1>の要件は充足されていると解するのが相当である。

(三) 次に<2>の要件について検討するに、控訴人一郎の障害、奇形と前記4・(二)及び(三)の実験例とを対比すると、動物実験の結果の一部とに類似性が認められないではなく、控訴人一郎の障害、奇形とユーエフティとの因果関係を否定すべき実験結果は存在しないということができる。

(四) <3>の要件についてみると、控訴人一郎の障害、奇形が通常よく見られる類のものとはいい難い。

(五) <4>の要件については、当時、母体である控訴人花子に疾患があって、これが控訴人一郎の障害、奇形発生に関与していた可能性を認めることのできる証拠はない。

(六) <5>の要件については、控訴人一郎の場合と同じ例が学会に報告されたことを認めることのできる証拠はない。しかし、前記4・(四)のヒトへの影響例に鑑みると、5FUが中枢神経系の脳に異常をもたらすことが窺われるから、控訴人一郎の障害、奇形との間に類似性が認められないわけではない。

(七) 以上の検討の結果に照らすと、他に有力な原因がないときには、控訴人一郎の障害、奇形は、ユーエフティに由来すると推認するのが相当である。そこで、次の6において、他原因の存否について検討する。

6(一)  《証拠略》によるとき、奇形すなわち先天異常を惹起する因子は、要約すると、遺伝、環境及び遺伝と環境の相互作用であること、右の遺伝因子とは、単一座位の遺伝子の異常(常染色体性の優性及び劣性、X染色体性、遺伝子病)によるもので、遺伝病と呼ばれて数多く知られ、先天性代謝疾患、染色体の数と構造の異常による疾患もこれに属し、先天異常の約二五パーセントに見られること、環境因子とは、母体疾患の状態(年令、栄養障害、疾病など)、物理的(電離放射線、無酸素症など)、化学物質、薬品、重金属、生物学的(ウイルス、トキソプラズマなど)、あるいは免疫学的異常などの要因となるもの等であって、先天異常の約一〇パーセントに見られ、このうち、発生中の胎芽あるいは胎児に作用して先天異常を起す環境因子を催奇形因子ということ、遺伝因子と環境因子との相互作用とは、多因子遺伝と呼ばれ、いくつかの座位の遺伝子の相互作用と多くの環境因子との相加、相乗的効果によって誘発されるもので、先天異常の約六五パーセントを占めるといわれていること、そして、どの因子によるものであっても奇形の場合、その形態学的立場からは差異がなく、その家系調査や臨床的調査によって、いずれの因子によって奇形が形成されたかを判断する以外にないこと、以上の事実が認められる。

(二)(1) ところで、《証拠略》によるとき、熊本大学医学部小児発達学・大谷宜伸医師は、平成元年六月一二日付で、控訴人一郎についての障害診断書を作成しているが、これによれば、傷病名は重度精神遅滞及び運動遅延とされ、その原因として、<1>子宮内胎児発育不良及び<2>新生児仮死(一分後のアプガースコア六点)が推定され、その根拠として、<1>CTスキャンでは明らかな脳室拡大、左脳萎縮が認められるが、<2>染色体及び血液、尿検査は異常がないから、<3>子宮内での何らかの原因による脳発育の未熟性あるいは新生児仮死の影響などによる精神遅滞が考えられるとし、右にいう何らかの原因のひとつとする趣旨が定かではないが、妊娠中毒症で母つまり控訴人花子が一か月入院したことを経過、所見等の欄に記載している。

(2) 右の診断の理由を前記(一)の先天異常を起す因子の分類に照らし合わせてみると、右診断は、控訴人一郎の障害、奇形を惹き起した因子は、遺伝因子ではなく、循環因子に分類される仮死分娩あるいは母の妊娠中毒症その他の何らかの事由と考えられるというものと解される。

そこで、まず仮死分娩の点から検討する。

甲第三号証の一の一一三枚目にある診療録の三月二五日の記載、同じく一三六枚目にある分娩経過表のアプガー欄の記載、同じく一三七枚目にある、入院日を六〇年三月二日とする入院時看護記録の三月二五日の記載、及び同号証の二の右診療録に対応する翻訳部分によれば、控訴人一郎のアプガースコアは、出産後一分時が六点、五分時が一〇点であったことが認められる。(右一分時については、診療録上は七点と記載されているが、看護記録上は、減点事由を具体的に記載のうえ七点を六点と訂正しているので、当時六点と評価されたものと認める。)そして、甲第三号証の二の前記翻訳部分にあるアプガースコアについての注記、《証拠略》によれば、アプガースコアとは、出生直後の新生児の状態を、皮膚の色、心拍数、呼吸、筋の緊張及び反射の五項目から観察し、各項目ごとに零点から二点の採点をした合計値であって、一〇点が最高の状態を示し、点数の低いものほど重症の仮死で予後が悪いとされていること、及び、一般に、本件程度の仮死状態であれば、この仮死が原因で控訴人一郎にみられるような障害、奇形が生じるとは考え難いことが認められる。

つぎに、妊娠中毒症の点であるが、《証拠略》によれば、控訴人花子が妊娠中毒症で入院したのは、出産直前であったことが認められ、これに《証拠略》から認められる胎児の頭部の形成時期を併せ考えると、この妊娠中毒症によって右のような障害、奇形が生じたとは考え難い。

そして、前記診断書上からは、大谷医師が、子宮内での脳発育の未熟性を招いた「何らかの原因」には薬物の影響を含まないとしているとは読み取れない。

(三)  以上、かれこれ検討すると、環境因子としては、ユーエフティの摂取という環境因子に分類すべき事情のみが、控訴人一郎の障害、奇形惹起にかかわった可能性があるというべきである。そして、前記のとおり染色体には異常がないと診断されており、他に遺伝因子のみが関与して障害、奇形が発生した可能性を窺わせる証拠はないから、この障害、奇形は、環境因子単独か前記の相互作用によって生じたというほかはないことになる。そうすると、環境因子としてはユーエフティの摂取以外にないというのであるから、控訴人一郎の障害、奇形が、環境因子単独によるものであれ、あるいは環境因子と遺伝因子との相互作用によるものであれ、ユーエフティの摂取は、結局一〇〇パーセント関与したことになる筋合である。

7  このようにして、控訴人花子のユーエフティの服用が控訴人一郎の障害、奇形発生と因果関係があると推認するのが相当である。

五  争点4について

1  引用にかかる原判決第三・二の認定事実によると、被控訴人病院は、控訴人花子に対し、薬剤交付にかかわる被控訴人病院職員が担当の鏡医師の処方、指示とは異なるユーエフティを手渡してしまったことが明らかであるところ、患者と薬剤との適応関係を考えると、右のようなことはあってはならないことである。そして、もしも処方、指示のない薬剤を患者に手渡しこれを患者が服用したならば、これによって患者に思いがけない事態を招くことがあり得ることは、右の職員にとって予測可能なことであり、とりわけ劇薬、指定医薬品、医師等の処方せん、指示により使用すべき要指示薬のユーエフティをその適応外の患者に渡してその服用を促すことは、前記四・3に説示したユーエフティの効能、その作用機序及び副作用に鑑み、よりいっそう許されないことである。

ところで、前記四・1ないし3の認定事実及び説示によれば、控訴人花子は、被控訴人病院において第一回目に受診した昭和五九年七月一七日当時、既に妊娠五週に入っていたのであり、したがって胎児(控訴人一郎)は器官形成期の絶対過敏期にあったから、このような妊婦にユーエフティを渡しその服用を促した被控訴人病院職員の過失は明らかである。そして、弁論の全趣旨から窺うことのできる被控訴人病院の規模、診療業務からして、被控訴人病院には多数の多様の患者が来診すると考えられるから、当時の控訴人花子のような妊娠している女性に誤った薬剤を交付するという事態が起り得ることは、薬剤交付にかかわる職員にとって予測し得ることというべきである。

2  このようにして、控訴人花子へのユーエフティ交付にかかわった被控訴人病院職員には民法七〇九条の不法行為責任が生ずるところ、被控訴人は右職員の使用者であり、右職員の不法行為は被控訴人の業務執行中に発生したことが明らかであるから、被控訴人は、民法七一五条に基づき、控訴人らの被った後記損害を賠償すべき義務がある。

六  争点5について

1  被控訴人一郎の逸失利益

引用にかかる原判決第三・一の認定事実によれば、控訴人一郎の障害の程度は、成長して通常ならば就労可能といわれる満一八歳に達しても、労働能力はまったくなく、その後の改善も見込まれないということができる。そこで、次の資料に基づきその逸失利益を算定する。

イ 年収 四二二万八一〇〇円

但し、昭和六〇年度賃金センサス第一巻第一表・産業計、企業規模計、学歴計の男子全年齢平均賃金額

ロ 就労可能年数 一八歳から六七歳

ハ 中間利息控除 ライプニッツ式採用

一八歳の係数 一一・六八九五

六七歳の係数 一九・二三九〇

ニ 計算式

四二二万八一〇〇円×(一九・二三九〇--一一・六八九五)=三一九二万〇〇四〇円

2  介護費用

引用にかかる原判決第三・一の認定事実によれば、控訴人一郎は、終生の付添看護を要する(ただし、本件では六七歳分までを求める。)。

イ 平均余命(昭和五八年簡易生命表) 七四・二〇歳

ロ 一日当たり四五〇〇円

ハ 中間利息控除 ライプニッツ式採用

六七歳 一九・二三九〇

ニ 四五〇〇円×三六五日×一九・二三九〇=三一六〇万〇〇五七円(円未満切捨)

3  慰謝料

控訴人一郎の障害、奇形に照らし、同控訴人に対してはもとより、両親の控訴人太郎及び控訴人花子に対しても、相当額の金員の支払をもって慰謝するのが相当であり、その額を次のとおり認める。

控訴人一郎 二〇〇〇万円

控訴人太郎 二五〇万円

控訴人花子 二五〇万円

4  弁護士費用

控訴人一郎 四五〇万円

控訴人太郎 二五万円

控訴人花子 二五万円

5  まとめ

以上によれば、控訴人らの被った損害の額は、次のとおりとなる。

控訴人一郎 八八〇二万〇〇九七円

控訴人太郎 二七五万円

控訴人花子 二七五万円

七  以上によれば、被控訴人に対し、控訴人一郎においてその請求にかかる四五〇〇万円(右損害額の内金)、控訴人太郎及び控訴人花子においてそれぞれその請求にかかる二五〇万円ずつ(右損害額の内金)並びにこれら金員に対する訴状送達の日の翌日である平成元年七月二〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求は、すべて認容すべきである。

よって、控訴人らの請求をすべて棄却した原判決は相当でないから民訴法三八六条に従いこれを取り消すこととし、民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 秋元隆男 裁判官 近藤敬夫 裁判官 川久保政徳)

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